宇和島についてwikiより引用


宇和島市
自治体名=宇和島市
都道府県=愛媛県
支庁=
コード=38203-5
隣接自治体=西予市北宇和郡:鬼北町・松野町南宇和郡:愛南町高知県:四万十市・宿毛市
シンボル名=他のシンボル
鳥など=
郵便番号=798-8601
所在地=宇和島市曙町1番地
電話番号=0895-24-1111
経度=
緯度=
宇和島市(うわじまし)は、四国の南西部、愛媛県の南部(南予地方)に位置する都市で、南予地方の中心都市である。旧北宇和郡の一部と旧宇和島市の合併により誕生。闘牛で有名な旧城下町である。
ファイル:Uwajima Bay.JPG thumb 宇和海(宇和島城から)
ファイル:Uwajima City view.JPG thumb 宇和島市街(宇和島城天守から)
西側は宇和海に面し、それ以外の三方は山地に囲まれている。リアス式海岸が広がり、加えて離島もあり、漁港の数では全国有数である。

宇和島線
『予土線』より : 予土線(よどせん)は、高知県高岡郡四万十町の若井駅から愛媛県宇和島市の北宇和島駅に至る四国旅客鉄道(JR四国)の鉄道路線(地方交通線)である。
愛媛県と高知県を結ぶ唯一の鉄道路線で、土佐くろしお鉄道中村線と予讃線を結んでいる。高知県内では四万十川の上流部に沿って走る路線であることから、しまんとグリーンラインの愛称が与えられている。
なお、土佐くろしお鉄道中村線からの分岐点は、正確には若井駅ではなく中村線の若井〜荷稲間にある川奥信号場である。また、若井駅と川奥信号場の間は土佐くろしお鉄道中村線にも属する二重戸籍区間となっている。
管轄(事業種別):四国旅客鉄道(鉄道事業者 第一種鉄道事業者)

宇和島鉄道
『予土線』より : 予土線(よどせん)は、高知県高岡郡四万十町の若井駅から愛媛県宇和島市の北宇和島駅に至る四国旅客鉄道(JR四国)の鉄道路線(地方交通線)である。
愛媛県と高知県を結ぶ唯一の鉄道路線で、土佐くろしお鉄道中村線と予讃線を結んでいる。高知県内では四万十川の上流部に沿って走る路線であることから、しまんとグリーンラインの愛称が与えられている。
なお、土佐くろしお鉄道中村線からの分岐点は、正確には若井駅ではなく中村線の若井〜荷稲間にある川奥信号場である。また、若井駅と川奥信号場の間は土佐くろしお鉄道中村線にも属する二重戸籍区間となっている。
管轄(事業種別):四国旅客鉄道(鉄道事業者 第一種鉄道事業者)

宇和島港
宇和島港(うわじまこう)とは愛媛県宇和島市に位置する港湾。重要港湾。
宇和島港は西に宇和海を臨み、湾口中央には周囲10km余の小島・九島が横たわり、自然の防波堤が形成されている。このため、毎年台風時には沿岸諸港よりはもちろん、大型船も避難して来る等、従来より天然の良港と称されてきた。
市街の背後に位置する鬼ヶ城山は宇和島港入港の目印、あるいは宇和島市のシンボルとなっている。
なお、宇和島市には漁港が多く存在し、吉田町、津島町との平成の合併によりさらに増えている。
その後明治期に入り、1900年(明治33年)には城堀を埋立て内港の築造に取り組み、航路、泊地の浚渫と浅海部の埋立てを行い、市街地、荷役用地、野積場等の造成と接岸施設の整備を進め、1953年(昭和28年)10月には県の管理する港湾となり、1960年(昭和35年)に重要港湾に指定された。

宇和島藩
宇和島藩(うわじまはん)は、伊予国宇和島(現在の愛媛県宇和島市)周辺を治めた藩。藩庁は宇和島城。
宇和島市が第2次世界大戦の被害が軽微だったことから、藩士の「由緒書」など膨大な史料が残っており、宇和島市などが分析、整理に当たっており、まだ終了していない模様である。
板島丸串城(現・宇和島城)はもともと高串村の土豪・家藤監物の居城であったが、天正3年(1575年)に西園寺宣久、天正13年(1585年)に小早川隆景、天正15年(1587年)に戸田勝隆と替わっていった。
その後、文禄4年(1595年)豊臣氏 豊臣時代、藤堂高虎が7万石で入封。慶長5年(1600年)高虎は関ヶ原の戦いで東軍方に与したため、加増を受け国府(愛媛県今治市)に転封。

宇和島市立城北中学校
校名=宇和島市立城北中学校
過去校名=
国公私立=公立学校
設置者=宇和島市
併合学校=
校訓=研究・実行・反省
設立年月日=
共学・別学=男女共学
学期=
中学校コード=
郵便番号=798-0012
電話番号=0895-22-0281
FAX番号=0895-22-4539
宇和島市立城北中学校(うわじましりつ じょうほくちゅうがっこう)は、愛媛県宇和島市にある公立学校 公立中学校。
生徒会活動が自主的で活発な学校である。近年、中高一貫の愛媛県立宇和島南中等教育学校の設立により生徒数が減少している。
以下の小学校校区。
宇和島市立住吉小学校
宇和島市立和霊小学校

宇和島市立住吉小学校
宇和島市立住吉小学校(うわじましりつすみよししょうがっこう)は愛媛県宇和島市にある公立学校 公立小学校。
創立から100年以上の歴史があり、韓国の浦項製鐵東初等学校と姉妹校の締結をしている。
校訓「大きな石は俺にもてころ」は、森岡天涯の言葉である。
宇和島市立住吉小学校の前身は明治10年に創立された大浦合浦小学校、幾度も名称を変えることになったが現在に至っている。
1877年(明治10年)4月 - 大浦合浦小学校を創立。
1887年(明治20年)7月 - 大浦簡易小学校に改称。
1891年(明治24年)4月 - 八幡尋常小学校大浦分教場に改称。
1892年(明治25年)10月 - 大浦尋常小学校に改称。10月1日を開校記念日に定める。
1920年(大正9年) - 大浦尋常高等小学校に改称。

宇和島市立城南中学校
宇和島市立城南中学校(うわじましりつじょうなんちゅうがっこう)は愛媛県宇和島市文京町にある宇和島市 公立中学校。
1947年 4月 1日 - 坂下津産業団地(予科練跡) 坂下津予科練跡に宇和島市立城南中学校として開校。
1947年 4月24日 - 開校式、第一回入学式挙行。
1948年 妙典寺前に新築移転(現・宇和津小学校)
1951年 3月23日 - 校旗制定。
1953年 文京町3‐2に新築移転(現在地)
1955年 1月17日 - 校歌制定。
1961年 4月 1日 - 校区変更により、宇和島市立城東中学校が開校。
1961年 4月24日 - 校訓制定。
1970年 4月 1日 - 宇和島市立九島中学校と宇和島市立城西中学校を併合。
1992年12月25日 - 男子の長髪許可。
1997年 2月 1日 - 運動靴の規定を変更。
2003年11月19日 - 優良PTA文部科学大臣賞を受賞。

宇和島運輸フェリー
宇和島運輸フェリー(うわじまうんゆフェリー)は、愛媛県八幡浜市の八幡浜港、三崎町(現・伊方町)の三崎港 (愛媛県) 三崎港と大分県別府市の別府港、臼杵市の臼杵港を結ぶ航路を持つフェリー会社。正式社名は宇和島運輸株式会社。本社は、愛媛県八幡浜市沖新田1581番地の21にある。
社名に「宇和島」と付いているが、宇和島港からの航路はなくなっている。
1884年12月 会社創設。資本金1万円。
1912年7月 新社屋竣工。
1923年6月 宇和島 - 佐伯直通航路開始。
1925年2月 宇和島 - 佐伯航路を廃止し、宇和島 - 八幡浜 - 臼杵航路開始。
1942年12月〜1945年8月 この間、第二次世界大戦・太平洋戦争の戦禍により12隻が沈没、3隻が連合軍に接収される。

宇和島運輸
『宇和島運輸フェリー』より : 宇和島運輸フェリー(うわじまうんゆフェリー)は、愛媛県八幡浜市の八幡浜港、三崎町(現・伊方町)の三崎港 (愛媛県) 三崎港と大分県別府市の別府港、臼杵市の臼杵港を結ぶ航路を持つフェリー会社。正式社名は宇和島運輸株式会社。本社は、愛媛県八幡浜市沖新田1581番地の21にある。
社名に「宇和島」と付いているが、宇和島港からの航路はなくなっている。
1884年12月 会社創設。資本金1万円。
1912年7月 新社屋竣工。
1923年6月 宇和島 - 佐伯直通航路開始。
1925年2月 宇和島 - 佐伯航路を廃止し、宇和島 - 八幡浜 - 臼杵航路開始。
1942年12月〜1945年8月 この間、第二次世界大戦・太平洋戦争の戦禍により12隻が沈没、3隻が連合軍に接収される。







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