士族についてwikiより引用


士族
士族(しぞく)とは、明治維新後、旧武士階級に与えられた族称である。1883年末で、約195万人(日本全人口約3750万人の5.2%)。
1869年の版籍奉還の後、かつての武士階級は華族(徳川宗家、大名、公卿等)、士族(旗本、各藩の藩士)、卒族(足軽)に編成された。その後、一部の郷士や卒族、在官の平民も士族に編入された(平民になった者も多い)。壬申戸籍作成(1872年)の際に「士族」と記載された。
なお、1884年の華族令で華族に爵位が導入された際、岩倉具視らを中心に士族の爵位を創設することも検討されたが、華族の五等爵をさらに増やすことによる制度の煩雑化と、公家や大名と同様、華族としての待遇を望む元勲の勢力によって、士族の爵位創設は頓挫し、明治維新の功労者らは勲功華族(新華族)として士族から昇格していった(華族は互選で貴族院議員になるなど、特権身分である)。

士族反乱
士族反乱(しぞくはんらん)は、日本の明治初期に旧武士階級であった士族が明治政府に対して起こした一連の反政府活動である。
江戸時代後期に開国し、王政復古 (日本) 王政復古により成立した明治政府は四民平等政策のもと、大名、武士階級を廃止して華族、士族を創設する。秩禄処分により俸禄(家禄)制度は撤廃され、廃刀令の施行など身分的特権も廃された。また、明治政府が行う文明開化、殖産興業政策による西洋技術・文化の輸入、朝鮮出兵を巡る征韓論で政府が紛糾し、明治六年の政変で西郷隆盛、江藤新平、板垣退助らが下野すると士族層に影響を与え、明治政府に反対する士族は「不平士族」と呼ばれる。







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